越後そば 川崎店
川崎駅から歩いて10分くらいのところにある越後そば 川崎店。
立ち喰い蕎麦でおなじみの狭い店舗。入口入ってすぐ右手の券売機でかき揚げそば(380円)を購入して反対側(左手奥)の調理場でチケットを渡す。券売機から調理場に至る両脇が立ち食いスペースとなっている。ちょっと珍しい間取り。
店内は撮影禁止のため今回は外に張り出してあるメニューの写真を。お昼過ぎに伺ったためか注文してから作っている。配膳されるまで5分ほど待ちました。
お汁の色は薄い。そばは細くて白ぽくて丸っこい。具はかき揚げ、ネギ、ワカメ。最初にお汁を一口。薄味だけどおいしい。若干甘い。コンブが効いているのかな?一般的な立ち喰いそばのようにパンチはないけどこれはこれで美味しい。これなら細いそばと相性よさそう。つぎにそばをたぐる。悪くはないと思う。ここのそばはちょっと珍しくてよくあるそばの無骨さが無くてツルツルしている。食べていて持ったイメージはなんとなく素麺(ソーメン)に近い。このソバは薄味のお汁と合う。
話が変わり食べてる途中で他人の注文が耳に入ってきたけどけっこうかけそばの注文が多かった。ちょっと小腹がすいた人がフラっと立ち寄ってあえて具を追加せずにさっと食べて出ていく。そんな江戸時代の立ち喰いそば的文化が似合いそうなお店。
かき揚げは大きくて丼からはみ出している。といっても嵩はそれほどない。平べったくて所々あるころものない隙間から反対側の景色が見える。ころもはお汁につかるとすぐに崩れるタイプ。大きくて平べったくて丼からはみ出しているのはサクサク感を残すためなるべくお汁につけないようにする方法を追求した結果と思う。具は玉ねぎ、ニンジン、オキアミかな。最近ハードなかき揚げが多かったからお汁につかって柔らなくなったころもがうれしい。
今回も無事完食。ごちそうさまでした。
想像力について
古でも人の気持ちがくみ取れない人は嫌われた
古典の入門書「田辺聖子のまんだら」で吉田兼好の徒然草を解説しているけどその中で友人の善し悪しついて述べているくだりがある。
三番目が、<病なく、身強き人>。体が強くて健康な人です。小さい時から病気を知らない人のなかには、他人の身体について思いやる心が薄い人がいます。想像力の引き出しがたくさんある人なら、思いやってくれるのですが、自分が元気だと、他人のことまで気がまわらない人が多いようです。
田辺聖子の古典まんだら 田辺聖子
たしかに相手の都合や心情を理解できない人は友人にしたくない。しかし難しいのは今まで体験したことが無いことをどうやって自分事として想像したらいいかということだ。
相手に提案するための想像力
想像力は2つある。それは自分のことと人のこと。例えば、お客さんに提案するために想像力を働かせなさいと言われたら自分好みの考え方や過去の自分の体験を駆使してアイデアを出すのは比較的簡単だ。一方、お客さんの価値観をベースにして提案するとなると一気に難易度が上がる。なぜならお客さんの価値観や今までの経験を確実に理解する方法ないからだ。しかしお客さんに提案する場合この力がとても大切になってくる。
さらに悪いことにお客さんと打合せをしても共感できなければどうしても他人事になってしまう。その結果、無関心な人間だと思われたり発言しない人間を信用できなくなったお客さんが疑心暗鬼になるかもしれない。これはまずい。
想像する癖をつける
今のところ、直接的な解決方法は思い浮かばない。だけど少なくとも立場や発言からお客様が何に価値をおいているか想像する努力をする。まずは何度も提案を繰り返しその癖をつけることが大切だと思う。
額面通りに仕事をしてもうまくない
額面通りに仕事をしてもうまくない。仕事をすると単に上司から言われたことを言葉通りに受けて仕事をしてもいい結果にならない場合がある。それは上司と私の認識のギャップかもしれないし、上司がなにも理解せずに丸投げにしてくる場合もある、さらに時間のない時に形作りだけして仕上げてしまう私の癖もある。
今、小説ミレニアム3を読んでいるけど同じようなシチュエーションの描写がある。警察の犯罪捜査チームの中枢となる人物から情報操作のため流された情報をもとに記事を書き上げた新米記者を鍛えるため編集長としてヘッドハントされた編集長エリカのセリフ
「本当? よかった。それじゃ、話をひと言にまとめるわね。あなたはジャーナリストとして、当局の中枢にいる人物が与えてくれた情報であっても、それを鸚鵡(オウム)みたいに繰り返すのではなく、疑問視し、批判的なまなざしで見直す義務があるの。これを絶対に忘れないで。あなたは素晴らしい書き手だけど、この姿勢が出発点になかったら、せっかくの才能が台なしだわ」
ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 スティーグ・ラーソン
まさしくその通り。私はITサービスを顧客に提案する場合、論理的思考を使って提案資料を作るけどそもそも前提があいまいだったり間違っていた場合を想定しないとまったく的外れな提案資料を作ることになってしまう。だから何かの指示を基に仕事をするなら批判的な観点で作業をするべきと思う。
トラットリア・モキチ 茅ヶ崎
今日は神奈川の茅ヶ崎にある熊澤酒造に行ってきた。相模線の香川駅で下車して住宅地の中を徒歩で10分くらい歩くとそれはある。
特徴的なのは日本酒やビールも作っているけどそれだけじゃなくて酵母を利用したパンやスイーツ、お酒に合う美味しい料理、小物(バッグやアクセサリ、食器など)のお店などを通じて酒蔵の敷地がお酒の文化を盛り上げるような空間になっている。
酒蔵の入り口。左の建物はおそらくビールの醸造所で窓から醸造用のタンク(?)が見えるようになっている。こういう来訪者を楽しませる演出はいいですね。良い雰囲気です。
バッグ、小物、食器などのギャラリーを見学した後でイタリア料理「トラットリア・モキチ」を訪問。お店の中はとてもいい雰囲気だったけど満席だったため2Fのテラス席を利用。今日は日差しが強かったためお店の人がパラソルの向きを調整してくれたりして親切でした。
注文したのは日本酒それぞれ一合づつ。お野菜たっぷりのモキチサラダ(1380円)。前菜5種盛り合わせ(1680円、これ1つで2人前)、パスタは蟹とサーモンのトマトクリーム(2280円、1.5人前)
まず日本酒がくる。吟望天性(一合650円)。配された徳利とおちょこの形が味があっていい。まずは一口。辛口でキレがある。美味しい。
お野菜たっぷりのモキチサラダ。けっこう量が多いです。あと見えないけどサラダの下にはジャガイモや豆類が隠れています。それなりにお腹も膨れて満足度が高い。
5種の前菜。サーモン、生ハムメロン、カプレーゼ、貝、バゲット。いろどりがキレイですね。美味しかったです。
パスタはフェットチーネ。具は蟹とサーモン、ほうれん草。まずは一口。うん、美味しい。パスタはモチモチしています。ソースは良い出汁がでている。
食後は敷地内のカフェでコーヒーとケーキを注文。ガラスの器がキレイですね。チョコレートケーキも美味しかったです。
金色のきらめき たま茶
京都西陣のハーブティーのお店「たま茶」からハーブティ「金色のきらめき」のおためしサイズ(カップ7~8杯分、899円)を取り寄せて試してみる。
栄養たっぷりのマテと体を芯から温めるジンジャーが入ったエネルギーチャージブレンド。冷え性や肩こり、ダイエットにおすすめ!血行を促進したり、脂肪の代謝を高めてくれます。便秘がちなあなたにも。
金色のきらめき たま茶
茶葉の保存容器にしばらく保管してから蓋を開けて匂いを嗅いでみる。しょうがの香りが強い。原材料はジンジャールート、フェンネル、マテ、レモンピール、ローズヒップ、ローズマリー。
紅茶ポットから注いだ「金色のきらめき」の色はゴールド。しょうがの香りが漂う。次に一口。ちょっと苦味・渋味があって口の中にしょうがの風味が漂う。ちなみに私は鼻づまり気味でしょうがが効いているような気がする。あと頭がスッキリした感じがする。仕事で疲れたときにいいかも。
ITサービスの提案資料について
今ITサービスの提案資料を立て続けに作っている。ただしこれは説明する人によって説明するポイントが変わってくる。
私のような元開発者だとどうしても開発の立場からシステムの詳細な構成を説明したくなる。どうしても目的を達成するためのシステム的な実現手段に穴が無いことにプライオリティを置いて作成してしまう。
けれどこれは利用者になにも意味がない。利用者にとってシステムの詳細な構成などどうでもいい。彼らにとって大切なのはサービスを実現するための手段ではなくてどれだけ楽できるかである。だから、(本来の品質向上とか効率化という目的を達成するのは前提として)彼らの利便性を考慮していかに作業の負担が少ないサービスであるか提案する必要がある。
だけどこれが経営層に近くなると変わってくる。経営者にとって詳細の説明は不要であることは言うまでもなく、シンプルで理解し易い課題解決方法と投資効果。それだけである。
大切なのは提案先が誰であれ相手の立場に合わせて説明するレベルを調整すること。大変だけどそれゆえにばっちりはまれば面白いと思う。
悪童日記 アゴタ・クリストフ
仕事をしていると理性が必要になるときがある
仕事をしていると理性的な判断を必要とする時が必ず来る。納得がいかいなときや関係者に嫌いな人がいたりすると仕事を放りだしたくなる。そんなとき理性的な判断に基づいてなにをやるべきなのか冷静に見つめ直すことが重要になる。でも口で言えるほど簡単なものじゃない。感情はとても厄介だ。
海外の小説の特徴
理性的といえば冷徹で理性的な小説は海外のほうが優れているように思う。怖いくらいに描写が生々しい。それは事実を積み重ね理性的に判断してきた文化・思想の歴史がベースになっているからかもしれない。一般的に理性的な文章は感情を揺さぶらないはずだけど読んでいて切なくなる。
悪童日記の説明
世界大戦期のハンガリー。生活が苦しくなった母親からおばあさんに預けられた双子の兄弟。彼らは自分達だけで生きていけるように自分たちを鍛え傷つける。例えば(大人から殴られても大丈夫なように)お互いに殴り合って痛みに強くなったり、(大人から罵られても平気でいられるように)罵倒しあったりする。子供とは思えないほどとても冷徹な双子。
ここがいい
ある日彼らは乞食のふりをして町の軍人や婦人たちに物乞いをする。
婦人が通りかかる。ぼくらは手を差し出す。彼女が言う。
「かわいそうにね......。私には、あげられるものが何ひとつないのよ」
彼女は、ぼくらの髪をやさしく撫でてくれる。
ぼくらは言う。「ありがとう」
(中略 このあとも物乞いを続けて何人かの婦人から林檎やビスケットをもらうのだけど乞食をしている理由を聞かれた兄弟は)「乞食をするとどんな気がするかを知るためと、人びとの反応を観察するためなんです」
婦人はカンカンに怒って、行ってしまう。
「ろくでもない不良の子たちだわ!おまけに、生意気なこと!」
帰路、ぼくらは道端に生い茂る草むらの中に、林檎とビスケットとチョコレートと硬貨を投げ捨てる。髪に受けた愛撫だけは、捨てることができない。
こんな悲しくて美しい表現があるだろうか。物語は淡々として叙述的に表現されるけど感情を揺さぶる。兄弟二人だけで生きていくための知恵が時として大人を怒らせ兄弟から大切なものを奪っていく。読んでてとても切なくなる。