ポコあポコ

タイトルは学生時代に読んでいた小道迷子さんの競馬の4コマまんがから頂きました。登場するゆるくて憎めないキャラクターが良いです。

仲間外れ

 世の中にはいたるところにルールがあるんだろう。それは得てして自分の世界観とはズレているんだけど。そのルールに乗っからないと損をする。そんな感じじゃなかろうか。

 これは、世の中のルールと、今まで生きてきた中の自分の経験とか価値観とかに基づいて出来上がってきたルールとがズレているから生じる訳で、もし自分が損していると思うのだったら彼らのルールで戦わなければいけない。

 なぜって?自分より世の中のほうが圧倒的に強いからだ。例えば、会社に勤めている以上、会社のルールで戦わない限り評価もされないし、給料は下がりつづける。もちろん、近所付き合いもそうだろうし、公衆浴場の使い方もそうだろう。

 公衆浴場といえば、2~3年前、銭湯に行ったら、草野球チームと居合わせて、練習、もしくは、試合後の彼らが体も洗わずに入って、ドロドロになった浴槽に私が浸かっていたら、銭湯の常連さんから睨まれたという冤罪を思い出してしまった。なにげに銭湯という世界はヒエラルキーが強いらしく、あの常連さんは浴槽が汚れていたのは今でも私のせいだと決めつけているのだろうか?もしあの常連さんがヒエラルキーの頂点付近の人だったら、私はほとんどの常連さんを敵に回してしまったのではないかと今でも気になってしまう。そんな世間の怖さを感じたセンシティブな私はその銭湯から足が遠のいてしまったのだった。そんなわけで、世の中のルールはあまりに強すぎて、時に冤罪さえ生んでしまう。という結論に達した。

 ところが、私の中では冤罪だから関係ないと思っていても、周りの人から見ると私はルールを無視したとんでもない犯罪人らしいのだ。そして、犯罪人は罰せられる。

 彼らは、自分が認めたくないものに対する態度は徹底していて、噂話や感情的な表現、もしくは、ロジックを交えて、徹底的に気に食わないものを糾弾し、巧みに周りの同調を得て自分の仲間を作り上げていく。何故そんなことをわざわざするのか?彼らは何が怖いのか?自分のルールが壊されるのが怖いのか?

 かれらのルールは、今の日本という昔ながらの親方制度、もしくは、横並びの文化をベースとした世界観からくるものなのにね。何たることか、日本人の心の狭さと多様性を受け入れない文化。と、自分が仲間外れにされるエクスキューズを考え、今日も私は自分の世界観の狭さを認めていない。