ポコあポコ

タイトルは学生時代に読んでいた小道迷子さんの競馬の4コマまんがから頂きました。登場するゆるくて憎めないキャラクターが良いです。

会話にはその人の感情と思想の両方が共存していると思っていて

会話にはその人の感情と思想の両方が共存していると思っていて。
 
今日、ツイッターでトレンドになっていた「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」という発言は「どうだ」という威圧的な表現から、その人の感情が表れているし、「母親ならポテトサラダくらい作るべきだ」がその人の思想に当たる。

 

威圧的なことを言って、他人が傷つくのを見て満足するサディスティックな人もまれにいるのだろうけど、今回の場合、おそらく母親の取った行動を目撃して、自分の大切な思想、もしくは、正しいと思っている観念を無視された、神経を逆なでされた、と感じた結果、威圧的な表現が表出したのじゃなかろうか。
 
いっぽう、「母親ならポテトサラダくらい作るべきだ」というのがその人の思想にあたるわけだけど、世間一般的に「母親ならポテトサラダくらい作るべきだ」という法律も、それを守らなかった場合の罰則もないし、少なくとも僕はそのようなルールは聞いたことがない。そうなると、少なくとも、それはその人の個別の思想であると思われる。
 
ただ、本当にその人はそんな粒度の細かいレベルで、理想的な母親であるべきルールをいくつももっているのだろうか?
おそらく、その人の大切な思想が「母親ならポテトサラダくらい作るべきだ」であるわけでなく(会話の言葉から、その思想が具体的に見えず、モヤモヤしているけど)その人が大切にしている思想が傷つけられた結果、刹那的に反応して表出した主張が「母親ならポテトサラダくらい作るべきだ」ということなのじゃなかろうか。
 
じゃあ、その大切にしている思想ってなんだろうね。
 
その人が実際の妻(この場合、子供がいることが前提)か、自分の母親に対する、こうあるべきだという考え、もしくは、その人が独身の場合、仮想の妻に対する理想像、とかですかね。
 
まあ、かといって、赤の他人の人生に対して責任も取れない人が、威圧的な態度に出ても良い、という理屈は通らないと思うけど。