絵と壺
芸術が好きな人は多いと思うけどどんなジャンルが好きか人によって変わってくる。私は西洋絵画が好きでよく見に行く。さらに西洋画でもジャンルやモチーフによってその好きの度合いが変わる。私の場合、印象派が好きでかつモチーフは人物>風景>>静物と好きな順番がある。特に静物はどんなに有名な人が書いていてもほとんど興味がない。果物とか花は無機的であまり楽しめない。数秒見たらすぐに次の作品に移動する。
絵画じゃなくて焼き物の壺や皿、漆の箱などが好きな人もいると思う。確かにあんな皿に料理を盛られたら美味しそうと思うことはあるかもしれない。でもこの場合、私は皿に引き立てられた料理が美味しそうにみえるのであって皿に感動を覚えるわけではない。
上手く言えないけど私の場合、実用的(例えば花を挿す花瓶とか料理を盛る皿のよう)な機能を有する物は感動が薄れてしまう。どんなにデザインに工夫をこらしてもどこか実用性の影を含んでいて生々しさや不純物が含まれているように感じる。純粋に芸術性という目で見れなくなる。そもそもデザインとは芸術ではなく究極の利便性や機能を追求する概念なのだろう。だから皿も料理を引き立てる機能をもった物という見方をしてしまう。その時点で(私からすると)芸術の領域から外れてしまう。
一方絵画自体は実用とは対極に位置する。(有名な画家の作品は売ればお金になるからある意味実用的ではあるけれど)絵画自体は効率性や利便性といった実用的な性質がない。あるのは好きな絵を見ることの居心地の良さや自分の中の無意識な価値観の発見である。
純粋な芸術とは実用性さえも淘汰したもの。実用性を無視したうえで人を惹きつけると私は思う。そんな芸術を追い求めるストイックさが私を惹きつけるのかもしれない。
そば処 かめや(新橋)
立ち食いそばのお店はサラリーマン向けに経営するビジネスモデルが多いせいか平日しか営業していないことが多い。つまり都内方面の出張は貴重。実は新橋にある「おくとね」を狙っていたけど私が着いた夕方時はすでに天ぷらそばが売り切れで断念。代わりに同じく新橋にある「そば処 かめや」に目的地を変更。
駅前のお店がひしめく通りのなか「かめや」を発見。店舗の間口の狭さが立ち食いそば屋らしくてほっとする。席は立食と着座どちらもある。券売機はないため店員さんに注文して配膳されてから清算。この店は天ぷらそばに温玉がついた天玉そばが有名らしいけど、いつもどおり天ぷらそば(380円)を注文。
お汁は黒くてやや色が濃い。そばの太さは普通。具はかき揚げとネギ。かき揚げが大きい。丼いっぱいに広がっている。それにネギが他の店よりも多め。相対的な幸福度を覚える、つまりうれしい。
最初にお汁を一口。昆布(かな?)が良く利いている。うまい。ちょっと醤油がしょっぱいけどこれがいわゆる「かえし」が強いということだろうか。次ににそばをたぐる。風味ながく柔らかめだけどお汁によくなじんで一体感がある。このなじむレベルを実現できるお店はなかなかない。いいお店。
かき揚げは見た目ふんわりとして花が広がったような感じ。食べ応えのあるしっかりとまとまったかき揚げとは対極に位置する。時間がたってお汁が染み込むと崩れていくタイプ。具は人参、ネギ、タマネギ、春菊(?)かな。味自体は悪くない。食感を楽しむよりグズグズに崩れた状態でお汁にのっけてそばと一緒に掻き込む食べ方があっている。味は悪くないけどもう一つものたりない。
もしかしたらこの店の味付けは温玉を前提にしているのかもしれない。この天ぷらそばに温玉を追加すればきつかったかえしがまろやかになるしかき揚げの味が濃くなる。完成度がダンチだ。
とはいえ温玉なくても一般的な立ち食いそばのお店に比べたら十分いけます。おいしいです。そして無事完食。ごちそうさまでした。
2001年宇宙の旅 アーサー・C・クラーク
SFの古典。映画が先行した作品だけど小説も1968年に刊行。古いけど古くない。今でも読める。そして飽きずにグイグイ読める。
人類の祖先である<ヒトザル>はとても弱い生き物でいつも外敵におびえながら暮らしている。ところがある日黒い板(モノリス)を見つけたときから道具の使い方を覚えて他の生物を狩る存在になっていく。そんな<ヒトザル>の気持ちがこんな風に描写される。
いっとき<月を見るもの>は、死骸のそばにおぼつかなげに立ち、死んだ豹がまた生き物を殺すという、すばらしくもまた不思議なできごとの意味を推し測ろうとしていた。世界は今や彼の意のままだが、さて何をするかとなると、決心がつかないのだった。
だた、そのうち思いつくだろう。
突然世界を制する道具を与えられたとしてもそれを使うの者は急に進化しない。きっかけは進化の起因となるけどそれはゆっくりと時間をかけて進んでいくものなのかもしれない。現に私たち人類は今やっと宇宙に進出するステージまで来ているけれどそこに至るまではとてもたくさんの時間がかかっている。
導入はさておき本編は人類が宇宙に進出し月面で300万年前に埋められたモノリスを発見したところから始まる。高度な技術で作成されたモノリスは人類意外の知的生命体の存在を示唆する。彼らがモノリスを月面に埋めた理由はなんなのか。一方、宇宙船ディスカバリー号が土星探索に向けて出発して旅を重ねていくが途中で事件が起こりモノリスの発見と事件の関係が明らかになっていく...
読み進めてみると話の筋やオチは今まで映画や漫画、アニメなどで語りつくされ繰り返されてきたもの。だけど実はそれらの作品がこの作品をオマージュしてきたのだと気付く。ストーリやアイデアが普遍化されて以降の作品に影響を与えていく。やはり古典はすごいと思う。
和食・甘味 花の茶屋
今日は熱海にあるMOA美術館に行ってきました。
11時前に熱海駅についてバスで10分くらい。地図で見ると近いと感じるけど山の上にあるため徒歩で行くのはきつい場所です。国宝級の作品も目玉だけど美術館建築デザインも一見の価値があります。
バスを降りてから作品の展示室まで3~4個のエスカレータを乗り継いでいくけどこんな感じ。建物自体の作り込みがはんぱじゃない。
昼前に美術館についたのでちょっと早めの昼食に。隣接する日本庭園にある和食・甘味 花の茶屋で一日30食定の花御前を頂きました。
おかずの種類が多くて目移りします。量は控えめだけど種類が多いせいか食後に満腹感があります。メインの魚かお肉でガッツリというのも好きだけどこういうのもいいですね。
MOA美術館の展示作品も良かったです。普段はもっぱら絵画を見てるけど日本画以外にも陶器や漆塗りなどいろいろな作品があってこれはこれで飽きずに見れました。おすすめです。
英訳で使う It is 形容詞 to do ~ について
最近たまに海外向けのメールの英訳をすることがある。あまり時間をかけられないのでざっくりと英訳して人に渡すのだけど訳していると
It is easy to understand ~
みたいな訳し方をすることがある。「~は理解しやすい」という意味だけど昔からこの文型は覚えやすいというか相性が良くて英訳でも使うことが多い。なぜかと考えると日本語は主語がないからだと思う。
英文法から推し量るにおそらくネイティブはコミニュケーションにおいて I think ~ とか The dog is running などのように明確な主語を立てるのだろう。一方、日本人はコミュニケーションで主語を省略する傾向にある。自然英訳対象の和文も主語を省略することが多くなる。そうなると主語を使わない言語を主語を使う言語に翻訳するため英文をどう組み立るか悩む。上記文型は(文法的には主語はIt もしくは to understand ~なんだけど)「誰が」という主語をあいまいにした和文の体裁を崩さずに英訳できる。つまり英訳が楽になる。だから使っているのだと思う。
女人幻想 森田曠平
先日行ってきた山種美術館で発見した画家、森田曠平。
その森田曠平の版画集を図書館で借りてきた。
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見る前からドキドキしたけどやっぱり借りてきて良かった。やはり森田曠平は女性をモチーフにした絵が上手いと思いました。
目(特に目に力がある)、鼻、口、一つ一つのパーツは福笑いのように個々に独立していて特徴的でいびつだけど輪郭や髪形は定規で引いたように幾何学的で正確。それを支えるように指先のしぐさが女性らしさを引き出す。静止画なのに指先まで神経が行き届いた所作が伝わってくる。さらにそれを支える幾何学的で秩序のとれた境界のある装飾により人間的な表情の美しさと機械的な装飾の美しさが自然に調和がとれていて共存している。女性なのに男らしいさばさばとした感じが伝わってくる。ねっとりした感じがない。全体的に抽象化されたデザインは絵画でなくデザインとも解釈できる。良いです。