ポコあポコ

タイトルは学生時代に読んでいた小道迷子さんの競馬の4コマまんがから頂きました。登場するゆるくて憎めないキャラクターが良いです。

新人歓迎会のお店が決まらない

 そろそろ新人さんが配属される季節でしょうか。私の事務所でも新人さんがやってきて歓迎会のお店探しの話がちらほら。メールで候補のお店が回ってきたけど、

 Xさんは洋風居酒屋をおすすめ

 Yさんは串焼き屋をおすすめ

私のはその候補がずっと頭でグルグル回って決まらない。なぜ決断できないのか。

それはおそらく、何かの不安であるはずだ。何が価値があるのか、どこをめざして進んでいけばよいのかわからなくなってしまった。あるいは、自分が嫌いで仕方がないのかもしれない。そういうとき、私たちは「自分らしさ」や「本当の自分」をみつけて支えにしようとする。しかし確実に言えるのは、「不安であり混乱している自分がいる」ということだけなのである。

哲学の練習問題 西研

 ということで、何が不安で決断できないのか考えてみると、

 前提:私にとってAさんもBさんも同じくらい大切

 仮説:どちらかを選択するともう片方の意見をおろそかにしたと思われて嫌われる

 従って、決断するのはやめよう

根源的な部分の思考はそんなもんだろうか。じゃあ、その不安は妥当か考えると、

  • 大切にするほどの関係か?
  • そもそも選んだら嫌われるのか?

もし妥当でないなら(というか冷静に考えると妥当じゃないよね)、判断基準は

  • 純粋に自分が行きたい店を選ぶ
  • 主役となる新人さんの嗜好を加味する

で決まり。

打合せのコミュニケーションについて

 今日グループメンバーで打ち合わせがあったため参加。主題はグループで担当するITシステムの説明会の振り返りと、次回の説明会に向けて説明内容の見直し。

 参加者は私を含めて4人。今日は意識していたおかげで、深い思考にはまらずメンバーのいうことを自然に受け止めることができた。途中で主題がめまぐるしく切り替わると方向性を見失うことはあるけど前にくらべればよい感じ。自分でも深い思考に陥っていると気づき注意を戻すことでもできている。

 ただ、①まじめな話をしている最中で冗談的にツッコミが入ると対応できないし、②会話の意味は理解できるがどこか他人事になってしまい深い話ができない。その結果、建設的な話ができない。これはもう少し改善するための検討の余地がありあそうです。

 

誰が使う資料か考えて仕事を進める

 私がかかわっていたITシステムを導入するサーバに必要な機能の洗い出しをすることになりました。ついでに同じお客さんに収める別のITシステムも導入するのため、その担当に同様にサーバに必要な機能を聞き出してとりまとめするようにリーダから依頼あり。

 そこで私はそれぞれのサーバの機能を調査して報告書を提出。そうしたら、2台のサーバを1台にまとめられると指摘あり。まったくそのとおりだったけどそんな考えが思い浮かばなかった。

 理由として、

 a) 別システムの調査結果は私は関係ないと他人事であった。

 b) 納期が遅れたため再考せず機械的に報告書をまとめて提出してしまった。

くらいか。あくまで自分本位の考え方がベースになっていたのが問題だった模様。その報告書は誰が使うものか考えると良いんだよね。お客さんが使うならコストを下げるとか複雑な構成を避けるとか考えついたのにね。残念。

 

コミュニケーション中の思考について

 傾聴って言葉が一時期流行っていました。

 私の定義は相手の言いたいことを自分の言葉で判り易く再定義してみる、くらいが妥当と思っているのですが相手が話してる間でついついその先に進んで①自分の原理上で検証してみたり②批判や論点のモレがないか検討してしまう。そこに時間をかけると話を聞き逃したり、(私としては論理的だと思うけど相手にとって)批判を述べてしまう(そしてそれを指摘すると怒る)。なにより不要な思考に時間や負担をかけるとしばしばコミニュケーションの齟齬が発生する。よけいなバイアスや情報をを加えずに相手の言いたいことを自然に受け止めればいいのに難しい。

 余計な思考を働かせないようにするには話の流れや相手の表情や身振りを認識するのが大切かも。それを気にしていれば相手が言い間違いをしてもその収集に時間がかからない。(つまりイレギュラーとして処理できる)

 あとは、不満を聞いて欲しい(自慢したい場合の裏返しの場合もあるけど)のか、相談にのって欲しいのか見極めがつけば大分コミニュケーションが楽になりそう。

反省の材料

今年になって起こった出来事

  • 社員証を更新するため写真を撮ってもらったところ前回に比べてとんでもない仏頂面になっていて自分でもとても驚いた。
  • 法事で久しぶりに会った叔父に雰囲気が暗くなったと言われた。
  • 最近ブログの更新を再開したけど過去の記事を読むと今とまるっきり違う、ともすると全く正反対の状況になっていて驚いた。

 ネガティブな話ばかりだけど、そのネガティブな自分の状況に気付けたのは良かった。自分の記録が外に残っていると冷静に反省できるので良いです。

孤食の人 立喰いうどん・そば 山七

 もうかれこれ20年近く前のこと。学生時代に浦安に住んでいた時、高校時代の友人が西船橋(千葉)の予備校の寮にいました。
 友人は競馬にはまっており近くには有馬記念を開催する中山競馬場があるので一緒に遊びに行こうと誘われたため行ってみることに。途中で腹ごしらえのため最寄り駅の構内にある立ち食いそば屋に寄りました。友人は頼んだそばにこれでもかというくらい七味唐辛子を入れて食べていました。聞いてもいないのに本人曰く阿佐田哲也麻雀放浪記の影響とのこと。アンタ予備校生なのに競馬に麻雀と賭け事に色気だしてなにやってんだ。
 

 その時のそばは記憶に残らなかったからたいして美味しくなかったのだろう。それでもしばらくすると、なぜかまた行きたくなってしまう。そして失望を繰り返す永遠回帰。それが立ち食いそば。ノスタルジックな思いがこれを引き起こすのか、現在の満たされなさの埋め合わせを求めてなのか。

 失望を繰り返しつつ中にはもしかしたらこれぞ最高、絶対の立ち食いそばがあったかもしれない。それもでも食べログに登録されたコメントに勇気を与えられながら次の立ち食いそばに挑戦するここ1年。

 そんなわけで武蔵小杉にある図書館に寄ったついでに東横線新丸子駅前にある立喰いうどん・そば 山七さんにやってきました。「食い」でなく「喰い」という漢字が古風かつワイルドであり私に真剣勝負を挑んでくる。真剣勝負を感じるのは昔見た立喰師列伝押井守)の影響か。

 私が入ったのは休日の14:00頃で先客が2人くらい。お店はお姉さんが一人で切り盛りしていました。

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 いつも頼むのはかき揚げ蕎麦。かき揚げってお店によって大きさや具の種類、食感までいろいろ違っていて楽しい。食べているうちに汁が染み込んで徐々に食感や味が変化するのも楽しめてグッド。

 
 2~3分くらいででてきました。かき揚げは小ぶりかな。330円と安めの設定のため大きさに文句は言えないか。
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 予備校時代の友人の真似して唐辛子をじゃかじゃか入れたら一味唐辛子だったよ。ちょっと失敗。

 気を取り直して汁を一口。かつおの風味がします。味は薄目。蕎麦の風味は特に感じないけど立ち食いそばにそれを求めては酷か。
 汁だけではパンチが利いていないため、唐辛子やかき揚げでムードを盛り上げつつそばを進めていく。添えつけのネギとのハーモニーも要所要所で利かせつつ完食。

ごちそうさまでした。

読書感想 一路

今、一路(著作:浅田次郎)という時代劇小説を読んでいます。

 父親を亡くして家督を継いだばかりの青年が美濃(岐阜県)から江戸まで参勤交代の行列を必死で成功させようとする話。なかなか面白い。浅田次郎を読む人は判ると思うけどお得意の浪花節で泣かせるシーンもいくつか出てきます。

 話の中で行軍中に宿泊する宿の寝所にて小姓がお殿様に軍記を聞かせる話があります。江戸に一大事があれば兵をつれて馳せ参じる大事な行軍において休むときも心得を忘れてはならないためであるという作法によるそうです。しかし、お殿様はそれに反対で面目を気にするからであろう(りっぱな行軍であると見せようとしている)と部下のやりすぎを諭したところ以下のような箴言をうけます。

父はかねがねこう申しておりました。武士の面目は他聞他目にあらず、常に自聞自目に恥ずることなきよう生きよ、と。畏れながら御殿様は、面目とは傍目あってのことと申されました。しかるにそれがしは、武士の面目は傍目に関わりなしと存じまする。

一路 浅田次郎

それを聞いたお殿様は自分はなんと甘いのかと涙を浮かべるのでした。そして最後にある歌が小姓によって読まれて話が閉じます。

行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花や今宵の 主ならまし

平家物語

日も暮れてしまって今日は泊まるところがない。木の下を宿とすれば花が宿の主人の代わりに自分をもてなしてくれよう。という意味だと私は解釈しました。

 武も歌も優れた平家の武将が打ち取られたときに残した歌がお殿様のまだまだ至らない心中を引き立てます。さすが浅田次郎。泣かせます。

 ちなみに、この歌を目に入れた時は意味が判らなかった。しかし、意味をググろうとしてキーボードで言葉を打ち込んだ途端に意味が分かった。これってなぜなんでしょうね。視覚的に言葉を理解するよりキーボードで打ち込んだほうが理解が良いてことなんだけど。。。普段でも資料の読解や会話の理解のヒントになりそうです。