ポコあポコ

タイトルは学生時代に読んでいた小道迷子さんの競馬の4コマまんがから頂きました。登場するゆるくて憎めないキャラクターが良いです。

自信を備えることについて

 自分に自信を持ちなさい。自己啓発書なんか、突き詰めるとそんな話ばかりじゃなかろうか。私もそう思う。自信はイイ。自信を持つだけで、自己肯定感が増し、生きていて幸せだと感じられる。

 ところが、なかなかそんな状態にならない。自信を持ちたくても、そもそも土台がないんだよね。確かに自己啓発書を読むと、それに誘発されて一時的に中身のない、上辺だけの自信を持てるけど、そんなの長続きしない。理由は、そのハリボテの自信とやらが、経験に裏付けされたものじゃないからだろう。じゃあ結局、本物の自信はどうやって身に付くのか。

 話が逸れるけど、例えば私は仕事で悩んで作業が捗らなかったり、婚活が上手く進まないのを悩んだり、一向に進まない実家の相続の手続きにヤキモキして、不安になったりする。自分だけの努力では、どうしようもないことも多いのに。(もちろん、それらの課題に対して、自分でできることが具現化すれば、その部分に関しては自分でなんとかなるけど、そんなケースは意外と少ないと私は思う。)

 そして、自分でなんともできないことでモヤモヤし、時間をとられ、不安にかられ、前に進むことを諦め、自信を失っていく。

 じゃあどうすれば良いかというと、結局やることやったら不安は忘れるしかない。むしろ忘れないと本業が疎かになったり、注意散漫になったり、ペースを崩したりして、トータルで問題が拡大し、さらに自信を失っていく。だから、不安は忘れることが大切。

 話が戻るけど、こういった恐怖と不安の入り混じった事象が、本当の自信を身に着けるチャンスなんだろう。恐怖と不安を分離して、自分で対処できる恐怖だけ克服していく。徹底的に考え、情報を集めて、決断していく。そして、不安は忘れる。その過程を経て得た結果が成功だったり失敗だったりするけど、その経験が自分の自信を作り上げていく。

 そうやって自信がない私は、自分に言い聞かせ、なだめすかしながら、今日も試行錯誤判断し、結果に後悔しながら頑張り続けている。

ちなみに、恐怖と不安の違いについてはこちら。

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仲間外れ

 世の中にはいたるところにルールがあるんだろう。それは得てして自分の世界観とはズレているんだけど。そのルールに乗っからないと損をする。そんな感じじゃなかろうか。

 これは、世の中のルールと、今まで生きてきた中の自分の経験とか価値観とかに基づいて出来上がってきたルールとがズレているから生じる訳で、もし自分が損していると思うのだったら彼らのルールで戦わなければいけない。

 なぜって?自分より世の中のほうが圧倒的に強いからだ。例えば、会社に勤めている以上、会社のルールで戦わない限り評価もされないし、給料は下がりつづける。もちろん、近所付き合いもそうだろうし、公衆浴場の使い方もそうだろう。

 公衆浴場といえば、2~3年前、銭湯に行ったら、草野球チームと居合わせて、練習、もしくは、試合後の彼らが体も洗わずに入って、ドロドロになった浴槽に私が浸かっていたら、銭湯の常連さんから睨まれたという冤罪を思い出してしまった。なにげに銭湯という世界はヒエラルキーが強いらしく、あの常連さんは浴槽が汚れていたのは今でも私のせいだと決めつけているのだろうか?もしあの常連さんがヒエラルキーの頂点付近の人だったら、私はほとんどの常連さんを敵に回してしまったのではないかと今でも気になってしまう。そんな世間の怖さを感じたセンシティブな私はその銭湯から足が遠のいてしまったのだった。そんなわけで、世の中のルールはあまりに強すぎて、時に冤罪さえ生んでしまう。という結論に達した。

 ところが、私の中では冤罪だから関係ないと思っていても、周りの人から見ると私はルールを無視したとんでもない犯罪人らしいのだ。そして、犯罪人は罰せられる。

 彼らは、自分が認めたくないものに対する態度は徹底していて、噂話や感情的な表現、もしくは、ロジックを交えて、徹底的に気に食わないものを糾弾し、巧みに周りの同調を得て自分の仲間を作り上げていく。何故そんなことをわざわざするのか?彼らは何が怖いのか?自分のルールが壊されるのが怖いのか?

 かれらのルールは、今の日本という昔ながらの親方制度、もしくは、横並びの文化をベースとした世界観からくるものなのにね。何たることか、日本人の心の狭さと多様性を受け入れない文化。と、自分が仲間外れにされるエクスキューズを考え、今日も私は自分の世界観の狭さを認めていない。

英語が聞き取れない(その後)

 先日検討した英語聞き取り方法を試しているんだけど、どうもうまくない。 

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 ようは英会話を聞いて、単語の数を数える方法なんだけど、どうも数えることに集中してしまい、聞き取りがおろそかになっているぽい。口に1,2,3と出して数えるのは気が散るから、指折りで数えているんだけど、これも指を折るのに気がそれて、あまりうまくない。

 それでやり方を変えて、英会話を聞きながら、聞いた単語と同じ単語を発音しながら追っかけることにした。シャドーイングというらしいけど、これがなかなかいい。聞こえた単語を発音しながら追うから、個々の単語の聞き取りに集中できる。また、途中で意味の解らない単語が出てきても止まることがない。

 なかなかいい。しばらくこれで試してみます。

生きていてもいいかしら日記

 昔から本が好きでね。本と相性がいいことを生かして、暇な時間にビジネス書ばかり読んでたら、だんだんプライベートの時間も仕事してるようで気がして滅入ってきた。休日なのに。

 そんな訳で最近、ビジネス書は放り出して、Webの評判などから面白そうな本を探して、片っ端から図書館から借りてきて読んでいる。

 北大路公子の「生きていてもいいかしら日記」も、その一つ。

私は小ぶり感が強い(小柄というのとちょっと違う。特に体脂肪率が小柄の域でない) 

この一言だけで、著者のセンスの良さがうかがえる。自虐的な表現だけど、なぜかサッパリしている。

 お相撲さんの乳首が気になったり、洗面所をきれいに使えないのを お母さんのせいにして気まずくなったり。下らない観察眼と、下品さと、エラそーで、言い訳がましい。そんな人間臭さにクスっと笑える。

 でもこんな風に書けるのは、自分の良いところも、悪いところも含めて、自分全部を好きになれてるからだと思う。そして、それが大人になるってことなんじゃなかろうか。

英語が聞き取れない

 仕事の都合上、海外のお客様に英語で商品を紹介する。でも、どうしても質問が聞き取れない。言ってることさえ判れば、片言ながらも何とか回答できるのにとても悔しい思いをした。先日も。

 もちろん知らない単語を使われれば聞き取れないだろうけど、この業界でそれなりに仕事していれば、ある程度の単語は理解できるはずなので、そんなことはめったにない。

 それで、英語を聞き取れない原因をいろいろネットで調べたんだけどね、聞きながら日本語に翻訳しようとしているからなんだと思う。英語で質問を聞く→逐次日本語に翻訳する。そこで、知らない単語が出てきて気になってしまったり、知っている単語に固執して次の単語が聞き取れなくなる。このやり方だと、とてもじゃないけど聞き取りが追いつく訳がないと気が付いた。

 だから結局、英語は英語として受け止めて処理していくしかないんだろうね。

 ネットで対策を調べたら単語の数を数えるという方法が見つかった。これだと、数えることに集中するため、一つ一つの単語の区切りに集中できるし、判らない単語はあきらめて飛ばしたり、なじみの単語にとらわれない。その上、センテンス全体をつかむことができる。これで少し聞き取り力の強化を試してみよう。

 方針が確立すれば、あとはソースを準備するだけ。NHKなり、語学用アプリなり色々そろっているのでなんとかなりそう。

 

恋愛小説について

 以前は全然興味がなかったのだけど、最近恋愛小説にはまっててね。たまたま立て続けに市川拓司の本を読んでいてお思ったんだけど、この人の小説って誰も不幸にならないんだよね。ふんわりとファンタジーにくるまれているというか。。。

 誤解があるかもしれないけど、話の途中の過程では、むしろお互いにケンカしたり、認識がズレて傷つくのだけど、それを凌駕して、(最後は一緒になれなかったりするけど、)読んでいて妙に清々しいというか、ドロドロしないというか、後味が悪くないというか。。。市川拓司って 人を傷つけるのが嫌いなんじゃないかって思うくらい徹底している。

 でも、よくよく考えたらこれが純愛なんだね。傷ついても、傷つかなくても、好きな人と一緒にいる時間を大切にする。そういう大切な時間を共有することに幸せを感じる。だから人は幸福になる。

 なかなか、そんなことはないけど、そういう恋が現実にあってもいいんじゃなかろうか。

 

 p.s.: 純愛だけじゃなくて、恋愛小説って色々なユースケースがあるんでしょうね。これから楽しみです。

 

遠藤周作と柴田錬三郎について

 人の読書の嗜好って色々あると思う。普段はそんなこと気にしないんだけど、何故か自分の読書の嗜好の一部について書いてみようと思う。今朝、通勤途中で電車の中でふと思い浮かんだので。

 私の好きな作家に遠藤周作柴田錬三郎がある。(他にもお気に入りの作家がいるのだけど)この2人に共通点があるため、(自己分析もあり)整理してみようと思う。

 ざっくり言ってしまうと、二人の作品に出てくる主人公は報われない。個人の信条と体制が衝突して、最後は個人が破滅してしまう。例えば、遠藤周作の場合は、キリスト教を軸にした話が多いのだけど、主人公は、江戸幕府なり、軍事政権下の政府に屈して、自分を滅ぼしてしまう。柴田錬三郎の場合は、主人公が自分を守るために身に着けた剣術が(もしくは、信条に則って行動した結果)、世間から否定され命を落としてしまう。

 そういった、体制に対する主人公の孤高の抵抗、主人公の生き方、生き様に私は共感するのだろう。

 話がちょっとそれるけど、小林秀夫の著書「考えるヒント」も良いですね。非常に難しくて読むのに苦労するけど、自分の考えを必死に整理して訴えているところに、心が動かされます。

 そこには、個人の精いっぱいの主張がある。そして、そこから、説得力が生まれ、読む人の心を熱くする。そんな感じじゃなかろうか。

 自分を熱くする。そんな本に会えることは滅多に無いけど、これからもそんな本との出会いを大切にしていきたい。