ポコあポコ

タイトルは学生時代に読んでいた小道迷子さんの競馬の4コマまんがから頂きました。登場するゆるくて憎めないキャラクターが良いです。

イライラしているときの対応方法

 仕事で人間関係がこじれるとなかなかうまく解消できない。私は私の立場から正当な主張をする、一方相手も相手のの立場で主張すると往々にしてどちらかが我慢することになる。相手の主張が通ったときにその気が進まない仕事をするととても嫌な気持ちになる。

 その感情の本質をニーチェは分析する、

そもそも人間は苦悩には憤慨するのもだが、それは苦悩そのものではなく、苦悩が意味のないことに腹を立てているのである。*1

なるほど。相手の主張が通った場合も納得いかないけど(さらにそれが間違っているとなおさら理不尽だけど)、その上感情に起因する苦悩が私をイライラさせる。なんでこんなに腹を立てて仕事をしなければいけないのか。イライラしなければいけないのか。私はそれに腹が立つ。話がそれるけど私はこれは自分の自由がおびやかされているからだと思っている。
 ニーチェは歴史を振り返って人間がどうやってそれに対応してきたか述べる、

人類はほとんどやむをえずに神を発明したのだし、さまざまな高さの中間的な存在を発明したのである。(中略) 

このような発明の力を借りることによって当時の人々は、その生においてつねにみずからを肯定し、みずからに起こった「災い」を是認する方法を会得したのである。*2

人間はそれを神や自然が与えた試練だと思うことでそれを受け入れてきたと言う。神が与えたと理性的に判断することで感情を抑える。これはこれで合理的な思想だけど私はいきなり神やスピリチュアルなものを信じろと言われてもとうてい無理。なぜならそれを信じるには目をつぶって大きくジャンプする勇気が必要だから。私は裏付けもなく存在を認識できないものを信じることができない。
 だからそんなとき私はノートやスマホに自分の気持ちをコッソリ書き出すようにしている。そうやって形にすると気持ちがスッとする。冷静になれる。さらに上手くいけば反省を促して自分を冷静に分析して成長させることができる。私はそうやって苦悩を克服するくせをつけようとしている。

たまに会える人がいるといい

 たまに会う人は私の変化に敏感になる。前回会ったときの記憶と照らし合わせた時のイメージが残っているのでしょう。

 今日行きつけの床屋にいってきた。1カ月ぶり。カットしてもらうため椅子座ったらいきなり言われた一言が「お客さん太ったでしょ」。ドキッとした。冷静を装いつつよくわかりましたね?と大人の対応でごまかす。
 どうやら私が順番を待っている間に椅子に座って前かがみで本読んでいたとき、くびの肉がたれてあごと首の境目がなくなっていたのを見ざとくみつけたもよう。事実を提示されると反論できない。きつい。さらに追い打ちをかけるように頭が大きくなったと言ってくる。普段散髪で人の頭に触れる機会が多い美容師さんは触っただけですぐにわかるらしい。

 ここ3カ月くらい別の部署で仕事している。いろいろ経験できてなかなか良い職場。たまに以前の部署の人にあうとその人がギクっとリアクションするので、私の成長ぶりに驚いたのか!と思っていたら私の脂肪の成長ぶりに驚いてたのね。。。
 家に帰って体重測ったら一カ月前から3.3kg増えてた。ショック。夏休み実家でだらけてたのと会社で適当に仕事をさぼってたのが効いたか。来週から気合をいれて仕事しますか。。。

理不尽な思いが心を占める

 誰でも会社で理不尽な目や納得いかないことを経験したことがあると思う。私の中でふとしたひょうしにそれが再起する。嫌な記憶は主に人間関係からくるものだけど特に相手が上司だったりして自分が弱い立場であるときにそれは大変。路頭に迷った私の怒りの感情がぐるぐる回る。


  それはどんな心境かというとニーチェが上手く言い表している、

抑圧された者、踏みつけにされた者、暴力を加えられた者は、無力な者の復讐のための狡知から、次のように自分に言い聞かせて、みずからを慰めるものだ。「われわれは悪人とは違う者に、すなわち善人になろう!善人とは、暴力を加えない者であり、誰も傷つけない者であり、報復しない者であり、復讐は神に委ねる者であり、われわれのように隠れているものであり、すべての悪を避け、人生にそれほど多くを求めないものである。われわれのように辛抱強い者、謙虚な者、公正な者のことである」。 *1

 まさしくこれ。(もしかしたら相手は本当に悪いやつかもしれないけど)自分は悪くない、相手が絶対悪者と考えようとする。しかも何度も念入りに理論武装して相手を悪者に仕立て上げる。そして相手は悪人なので対処のしようがない、せめて自分は善人として生きて行こうと考える。

 ニーチェはそんな人間の思考を奴隷の道徳と呼び批判する。

しかしこの言葉を先入見なしに冷静に聞いてみれば、そもそもつぎのように言っているにすぎない。「われわれのように弱いものは、どうしても弱いのだ。われわれは、それを為すだけの強さをもたないことは何もしないほうが良いのだ」  *2

弱い者は弱いのだから仕方がないと諦めているだけだ、とズバリと言う。確かに私は(いろいろ偉そうなことを心の中で考えるだけで活動も起こさず)そう思い込むことで自分を納得させ居心地の良い場所を作り出して心の安静を取り戻そうとしている。 
 実はこの状態あまりよろしくない。なぜなら現状がなにも改善していないから。 そもそもこんな思考は不健康だし生産性がなにもない。
 だからたまに私はこのような思考に落ちていないか自分でチェックして正常な思考を取り戻すようなくせをつけようとしている。そして(もちろん自分の主張が相手の主張より普遍的であるという前提は必須だけど、そうであるならば)今の状態から抜け出すため積極的にルールを変えて自分に有利な状態になるようにしたい。

 

 

 

 

スシロー かけうどん

 腰痛対策の講習でいい感じだったので100円ショップでストレッチボールを買ってきた。家にある空気入れでふくらまそうとしたら空気注入部分の口が合わないことに気付いて空気入れを買いに外出。ついでに晩酌代わりに近くのスシローに寄ってきた。

 日本酒や唐揚げなど頂いて最後の締めを探していたらうどんがあった。かけうどん(130円)を追加。 一時期回転寿司屋でだす麺類がなかなかのクオリティという話題が盛り上がっていたため期待する。

 

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コンベアに載ってきた蓋つきの丼。廻っているうちに冷めるのを防ぐためだろうけど蓋がついているだけで上等の丼もののように見えて満足感を覚える。蓋を開ける時にちょっとワクワクする。

 

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お汁は透明。うどんは細めで量は通常の半分から2/3くらい。具は揚げ玉、かまぼこ、ネギと白ごま。


 最初にお汁を一口。それなりに味はする。京風のだし?ぽい感じか。
 うどんはちょっと硬かった。火のとおりがあまい気がする。130円だと素材で勝負できないのは判るけどもう少し調理に手間をかけてもらえるといいのに。ただし回転寿司の場合は立ち食いそばと違ってすぐ配膳できない難しさがありそう。例えばコンベアで配する間にかかる余熱を考える必要があるため、うどんがちょっと硬めの状態でコンベアに載せるとちょうどいいみたいな。
 具も普通だ。かまぼこだけ(厚みが薄かったけど)ちょっと美味しかった。

 

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完食。ちょっと文句をつけたど普通に食べれる。ごちそうさまでした。

言葉だけの会話はぎこちない

 事務所に戻ったらAさんが事務所のメンバとおしゃべりしていて私のことに言及していたのが耳に入った。それとなく尋ねてみるとAさんが担当するITシステムを海外に紹介する際の英訳のチェックを私に分担することについてらしい。
 Aさんは「私英語がからきしダメだから」、「Bマネージャーから「Aは英語ができない」と言われてるからC君(私のこと)にお願いするよ」と私に話を振ってきた。
 私はAさんにそんなこと言ってほしくなかった。(おそらくこれは私の思考の癖が多分に反映されているからだろうけど)英語に苦手意識を持ってへりくだってほしくなかった。だからAさんとの会話の内容とBマネージャーが発信したメールの事実から、「そんなことないよBマネージャーはうちの部署で受けられないといってるだけでAさんが英語ができないと言ってないよ」と答えた。
 おそらく表面的な言葉のやりとりからすれば問題ない会話だと思う。だけどその時の相手の反応から会話にぎこちなさを感じた。
 後から考えたら、おそらくAさんは(2割くらいは自虐的な意味もあったかもしれないけど)私に仕事を気持ちよく分担してもらえるようにわざと自分をへりくだって言ってくれたんだろう。それを察することができればもう少しましな会話ができたのに。
 コミュニケーションは難しい。言葉だけ追ってしまうとどうしても会話がぎこちなくなってしまう。

金曜のバカ 越谷オサム

 社会との関係性が上手くいかないときがある。たまにそれは自分の一人相撲だったりするわけだけど本人はそれに気づかない。なんとかして今の状態から抜け出そうとあがくけど周りが見えていないため迷惑をかけまくる。あとから思い出すとそれを受け止めてくれる人がいたことに気付いて感謝する。

 

 「僕」は専門学校を1年で中退しアルバイトも続かない深夜のバラエティ番組に毒づくようなニート。そんな「僕」が道端で出会った女子高生「カナ」に恋してしまう。
 けれど「僕」のアプローチはおかしくて、あろうことか毎日藪に隠れて前を通り過ぎるカナを観察するストーカーになってしまう。そんなある日見ているだけで満足できなくなって声をかけようとしたら、カナが逃げだしたためとっさに追いついて後ろからだきついてしまう。

突然、女子高生が消えた。そして次の瞬間、世界が縦回転した。なんだ?

ごん

鈍い音と同時に、目の周りに火花が散る。音からしばらくして、後頭部にズキズキと痛みを感じはじめた。

「僕」は女子高生に投げられて自分が敗北を悟る。一方カナは、

「勝った!」 

人気のない通学路を疾走しながら、私はなんどもわめいた。「勝った! ウピー! 勝っちゃった! 投げ飛ばしてやった!」

 勝利の味をしめてしまう。

 自然とそんな二人は恋に落ちるのでなく格闘技で勝負するようになる。まるで武士と武士がお互いを尊敬しながら勝負を重ねるように。


 それと同時に「僕」のなかで何かが変わっていく。カナに勝つために格闘技の書籍を買いに言った書店でちょっとした理由からアルバイトを始めてしまう。毎日格闘技の専門書を読みながら筋トレを重ねる一方、書店のアルバイトが軌道にのりはじめる。そして毎週金曜日にカナに勝負を挑むという規則正しい(?)生活を過ごしていく。

 けれど「僕」はふと思ってしまう、

このまま戦いがエスカレートしていたったら、そのうちどちらかが取り返し のつかない怪我をしてしまうのではないだろうか。僕はいつまで彼女に甘えるつもりなのだろうか。

ここでやっと二人の関係がわかる。つまり居場所がなくて世の中を憎み続けている「僕」を相手にしてくれるのがカナだったとそこで気付く。やり場のない怒りをぶつかり稽古という形でうけてめてくれたのが「カナ」だった。

 

 (総評)越谷オサムなので例の身もだえするような恋愛小説かと思っていたら青春小説でした。

そばうどん 東 (アヅマ)

 途中でポツポツと雨が降り出してきた。やや早足になる。

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JR御徒町駅から東に歩いて5分くらい。清洲橋通りの交差点にそれはある。

 

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そばうどん 東 (アヅマ)
店舗の看板が大きすぎて近くで写真撮ると収まりきらない。独立系のたちぐいそばの店舗は本当にに個性があって面白い。

 

そば(290円)にやさいかきあげ(100円)を追加。タネにまよったら迷わずかきあげ。券売機はないためそばを配されたときに390円を渡す。

 

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そばの太さは普通。お汁はそれほど黒くない。具はやさいかきあげとネギ。
最初にお汁を一口。うん、とても濃くてておいしい。出汁が効いている。ちょっとだけ後味にえぐさが残るけど、砕き唐辛子を入れるとうまくなじむ。
そばとお汁の相性がいい。そばをたぐると自然にお汁の味がついてくる。美味しい。
やさいかきあげはしんなりしていてお汁になじむタイプ。具は人参、タマネギ、春菊?。時間がたつと適度にお汁がしみこんでさらに美味しくなる。お汁と相性がいい。

 

お汁、そば、やさいかきあげのバランスがいい。3者が上手くなじんでいる。そして、たまにインターバルではさむネギが気持ちをリセットし次のアプローチを新鮮にする。

 

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完食。完成度が高いおそばでした。こういったお汁・そば・天ぷらのバランスが良いお店はなかなかなくて貴重だと思う。ごちそうさまでした。