ポコあポコ

タイトルは学生時代に読んでいた小道迷子さんの競馬の4コマまんがから頂きました。登場するゆるくて憎めないキャラクターが良いです。

人は自分の思うようにしか認識しない

 人と会話をしていても、うまく私の考えや気持ちが伝わらない、理解してもらえない。そんなつもりじゃないけど相手に誤解を与えてしまう。そんなことがたまにある。今日もそんなことがあった。

 話がそれるけど近頃、点滴異物混入事件がニュースになっている。

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 容疑者の動機が気になる一方、これは倫理的に複雑な問題も含んでいる。例えば、同業の看護師の方が自分の観点でツイートしてる。

   一連のツイートから、この方の主張は、容疑者に対する同業の看護師としての共感でなく、

  • 病院、もしくは家族の都合(お金)のため、生かされ続ける不幸な患者がいる。
  • 看護師の仕事は患者が幸福になることだが、患者の生命を維持する結果、患者に苦痛を与え続ける。という矛盾と戦いながら仕事をしている。

と私は認識した。①も②も倫理的に非常に深い問題で、簡単に結論が出ない。どちらも当時者、および関係者を含めトータルで幸福なら問題ない、という功利主義的な話(でも、道徳的には大いに問題がある。ちなみに、この方自身もこの仕事でお給料をもらっている、と述べている。)理不尽な話だけど実社会はこういった現実で回っていることも否めない。

 一方、この方のツイートに対する、コメントをざっと挙げると、

  • この看護師さんの言う通り患者(家族)に負担かけていた、ごめんなさい。
  • 加害者に共感するなら、看護師として、この仕事は向いていない。
  • 加害者の動機に共感する、もしくは、共感してはいけない。
  • 患者の家族が怠慢だ。
  • このような事件を誘発する、看護体制、制度が問題だ。

これは、私の認識と異なる。しかし、ここで言いたいのは、コメントを返した人が間違っているという話ではない。要は、結局人は自分の解釈したいようにしか解釈しないということ。例えばコメントの主旨は、家族か?医者か?看護師か?全くの他人か?患者本人か?で捉え方は全く変わってくる。だからコミュニケーションは難しい。人は、他人の発言を聞いている振りをしても、結局、自分の感じたいように感じる、それだけのことなのだ。

  話がそれるけど、この方は現状がやむを得ないと述べながらも、自分の今までの経験を反省したり、普段から問題意識をもって自分なりに何ができるか考えながら仕事をしているのだろう。そうじゃなければ、数々のコメントの反論の本質を認識して回答できるわけがない。だから当事者の利害関係を加味して発言できる。

 徹底的に考えて、なにが自分にできるか考えて行動している。そういった人がいるから救われる人(患者さん)がいるのかもしれない。これがプロフェッショナルというものじゃなかろうか。