ポコあポコ

タイトルは学生時代に読んでいた小道迷子さんの競馬の4コマまんがから頂きました。登場するゆるくて憎めないキャラクターが良いです。

理不尽な思いが心を占める

 誰でも会社で理不尽な目や納得いかないことを経験したことがあると思う。私の中でふとしたひょうしにそれが再起する。嫌な記憶は主に人間関係からくるものだけど特に相手が上司だったりして自分が弱い立場であるときにそれは大変。路頭に迷った私の怒りの感情がぐるぐる回る。


  それはどんな心境かというとニーチェが上手く言い表している、

抑圧された者、踏みつけにされた者、暴力を加えられた者は、無力な者の復讐のための狡知から、次のように自分に言い聞かせて、みずからを慰めるものだ。「われわれは悪人とは違う者に、すなわち善人になろう!善人とは、暴力を加えない者であり、誰も傷つけない者であり、報復しない者であり、復讐は神に委ねる者であり、われわれのように隠れているものであり、すべての悪を避け、人生にそれほど多くを求めないものである。われわれのように辛抱強い者、謙虚な者、公正な者のことである」。 *1

 まさしくこれ。(もしかしたら相手は本当に悪いやつかもしれないけど)自分は悪くない、相手が絶対悪者と考えようとする。しかも何度も念入りに理論武装して相手を悪者に仕立て上げる。そして相手は悪人なので対処のしようがない、せめて自分は善人として生きて行こうと考える。

 ニーチェはそんな人間の思考を奴隷の道徳と呼び批判する。

しかしこの言葉を先入見なしに冷静に聞いてみれば、そもそもつぎのように言っているにすぎない。「われわれのように弱いものは、どうしても弱いのだ。われわれは、それを為すだけの強さをもたないことは何もしないほうが良いのだ」  *2

弱い者は弱いのだから仕方がないと諦めているだけだ、とズバリと言う。確かに私は(いろいろ偉そうなことを心の中で考えるだけで活動も起こさず)そう思い込むことで自分を納得させ居心地の良い場所を作り出して心の安静を取り戻そうとしている。 
 実はこの状態あまりよろしくない。なぜなら現状がなにも改善していないから。 そもそもこんな思考は不健康だし生産性がなにもない。
 だからたまに私はこのような思考に落ちていないか自分でチェックして正常な思考を取り戻すようなくせをつけようとしている。そして(もちろん自分の主張が相手の主張より普遍的であるという前提は必須だけど、そうであるならば)今の状態から抜け出すため積極的にルールを変えて自分に有利な状態になるようにしたい。