ポコあポコ

タイトルは学生時代に読んでいた小道迷子さんの競馬の4コマまんがから頂きました。登場するゆるくて憎めないキャラクターが良いです。

今の辛さを乗り切る

 つらくてくじけそうなことがある。先日行きつけの床屋にいってきた。そこの美容師さんは話が上手くて毎回盛り上がる。そんな美容師さんの最近の悩みは夢にうなされること。朝起きると汗ビッショリとか。

 戦国時代の夢でとんでもなく沢山の敵にかこまれて自分は孤軍奮闘、それがとても苦しくてうなされる。その感想は、

 a) 私だったらこれ以上苦しいことが続くくらいなら死を選ぶ(敵に殺してもらう)

 b) 美容師さんは負けたくないので(苦しくても)最後まで戦う

と人によって対応の違いがあって面白い。

絶望とは「死に至る病」である、とキルケゴールは語る。それは単に、絶望は「死ぬほどつらい」という意味ではない。そうではなく、人間にとって絶望とは死に至るその瞬間までつきまとう本質的な病であり、そこから完全に免れて悟りの境地に達することなど人間にはできないということなのだ。

はじめての哲学史 竹田青嗣 西 研[編]

 私は絶望=死ととらえたけど、美容師さんは絶望を宿命として受け入れているのかも。(死後はどうなるか知らないけど)少なくとも死んだら生前の苦しみや辛いことから解放される。一方生き続ければ今の苦しみを抜けても次の苦しみがやってくる。夢の話だけでなく人生ってそんなものだと思う。

そのときつぎのことが問われる。君は「こうであった・こうでしかありえない」という事実を受け入れ、そのもとで力を尽くし少しでも悦びを受け取ろうと努力することもできる。これを受け入れず世界と生を呪って生きることもできる。それは君の自由だが、君はどちらを選ぶのか、と。つまり永遠回帰の思想は、「何のために生きるのか」ではなく、「君はいまをどう生きようと望むのか」という問いを私たちに投げかけるのである。

はじめての哲学史 竹田青嗣 西 研[編]

 苦しいことがあったとき(少なくとも私は)生きる目的といった絶対的な善を求めようとしてしてしまう(そうすれば今の苦しみから救われるから)。そしてそれを探すためにさらに深い思考にはまっていく。しかし、そもそも「何のために生きるのか」という問題に答えがだせなくて絶望する。だけど、なぜ苦しいと思うのか、どうして逃げたいと思うのか。それを掘り下げていけば少なくとも今の苦しみを解放することはできると思う。