外食のお店を検討
部屋にいると誘惑が多くて読書がはかどらないため、小腹がすいていたのもあってどこか外食できそうな場所を検討。お酒を飲める所が前提で候補ははま寿司かガスト。
はま寿司はお酒のアテが豊富だけどちょっと遠い、ガストに比べるとお酒が高い。ガストは近くてお酒がはま寿司に比べると安い(ワイン1杯100円)けどお酒のあてが少ないしあまりおしくない。
ということで2つの選択肢が延々と頭のなかでぐるぐると回っていつまでも結論が出ないとうお話し。結局近くのスーパーでお酒とアテを買って自宅でまったりすることになったのですが、その際この話を再考してみました。最近私が読んだ本によると 、
また別の例だけど、「死んだらどうなるんだろうか」ということが気になってあれこれ想像している、というような場合もある。かなり明確な疑問があるのだが、考えを進めていくとこができずにグルグルまわっている。ーーーそういうときに大切なのは、問いそのものを吟味するということだ。つまり「死んだらどうなるのか」というこの問い自体に向かって、<なぜこんな問いが気になるのか><考えて答えが出る問いなのか>、つまり<どういう問い方をすれば、①より根っこから考えたことになり、②かつ考えを先に進めていけるのか>と問うてみるのである。
哲学の練習問題 西研(著)
よくよく考えてみると私は「くつろげる場所でおいしい食事をしながら読書をゆっくり楽しみたい。」そう思っていたのです。そうなると値段の話や遠いというデメリットは二の次になります。つまりはま寿司が正解。
話がそれるけど、この結論に至るまでの判断は理性的に判断するけど根っこの部分は感情が起点になっているんだよね。この感情は私の原理なのですごく大切にしなければいけないことだと思います。